バイエルン州フュルト市に於ける広島原爆慰霊祭 加藤邦彦・温子

1986年からフュルト市長室主催で毎年86日恒例行事、今日までの歩み)

1986
ウヴェ・リヒテンベルグ市長の時代に,フュルト市が広島・長崎と非核平和連帯都市同盟を
結び、この記念に地元の平和委員会から加藤邦彦は広島平和祈念碑を依頼され制作しフュ
ルト市へ寄贈。この平和祈念碑は最初フュルト市駅前に設置され
,その年から祈念碑前で
市長や市民らと広島・長崎原爆慰霊祭が毎年
86日に行われる事になった。フュルト市長
の御挨拶

1987
上記の調印により広島市から副市長・助役の来訪があり,その祈念式典へ加藤邦彦・温子
もフュルト市から招待を受けて参加。
1986年からフュルトと同様に広島・長崎と世界平和
連帯都市同盟を結んだ、広島と姉妹都市でもあるハノーファー市の市長もこの式典へ参加
,広島からの訪問者と平和への対談を行った。

8.6広島平和祈念日にフュルト市長リヒテンベルグ氏の御挨拶

1988
フュルト市駅前に建てた広島平和祈念碑のブロンズ製折鶴部分が壊されたので,加藤邦彦が
自ら修復を行った。この年の
8.6広島原爆慰霊祭に日本の学校生徒らの訪問があり,これを
機会に広島平和祈念碑を
,駅前道路脇から花壇の中へ移動設置し,加藤邦彦はこれに全面的
協力。

8.6広島平和祈念日にフュルト市長リヒテンベルグ氏の御挨拶

1989
第二次大戦勃発から50年目の年、広島市から広島平和文化センター理事・河合護郎氏が
フュルト市を表敬訪問。同年夏には、フュルト市長ウヴェ・リヒテンベルグ氏も第二回平
和連帯都市市長会議に参加するため、広島を訪問。

8.6広島平和祈念日にフュルト副市長の御挨拶

1990
フュルト市長や市民らと行う8.6広島原爆慰霊祭に集る人々の輪が広がり,年々広島平和祈念
碑前へ集る人達が増えて来た。

1991
広島平和祈念碑前での8.6平和祈念式典にフュルト市民へ自主的な平和運動が呼びかけられ
た。Dr
.トーマス・ユング氏の御挨拶

平和祈念式典参加者はますます増えて来た。

1992
8.6広島平和祈念碑にフュルト市長リヒテンベルグ氏の御挨拶バルカン戦争による犠牲者らへ、特にフュルト市の当時のユーゴスラヴィア姉妹都市であっ
たビエリーナ市の被害者救援に向けて、
8.6広島平和祈念式典では,加藤邦彦・温子は作品絵
葉書やポスターを販売して売上全額を
,被災地へ寄付。

1993
8.6広島平和祈念にフュルト市長御挨拶。フュルト市にあるプロテスタント復活教会も参加
し、信者達も多く参加するようになった。宗教の違いを越えて原爆被災者への慰霊ととも
,世界平和へのアピールが行われた。

1994
フュルト市長ウヴェ・リヒテンベルグ氏の御挨拶
8.6広島平和祈念には,キリスト教信者のみならず,核に反対する母親達の団体も参加して,
原爆被災者への慰霊と核兵器大量虐殺への警告が行われた。

1995
広島・長崎原爆から50年になる年、駅前の地下鉄工事と作者の提案で、加藤邦彦作の広島
平和祈念碑がフュルト駅前からフュルト市立公園に移動設置された。公園入り口のプロテ
スタント復活教会東側の広々とした緑地にある三本イチョウ樹の前に設置された祈念碑前
,それ以降も毎年8.6広島平和祈念式典が行われるようになった。
この年には加藤邦彦・
温子の提案で、平和祈念碑隣の復活教会を展覧会場に公開してもらえるようになり
,「平和
の国際芸術展」を
8.6広島平和祈念行事として,平和文化を育むことを目的にフュルト市長
主催で、いろいろな国の芸術からと展覧会を行うようになった。以降もフュルト市長主催
で毎年続いている。

この展覧会へは,ドイツ人,日本人,ベトナム人,ロシア人,イラン人,イラク人、ユダヤ人,ポー
ランド人の作家らが参加し
,多くの市民らに見てもらい良い批評を受けた。会場の協会内や
広島平和祈念碑緑地には市民らと一緒に折った千羽鶴を飾り
,広島・長崎原爆やサダコと千羽
鶴に関しても伝えた。作品展示や当番を加藤邦彦・温子が有志等と行った。またこの展覧会
を通して作品集や絵葉書などで集めた寄付金を全て、チェルノヴィル原子炉事故で被曝した
子供達の救済施設へ送った。

1996
広島・長崎とフュルト市が非核平和連帯都市同盟を結んで10年目の年。
フュルト副市長・ギュンター・ブラント氏とバイエルン州議会議員Dr.トーマス・ユング氏
が御挨拶

加藤邦彦・温子の提案で,日本から愛知県名古屋造形大学学長・彫刻家石黒しょうじ氏や画家
・加藤大博氏
,ドイツからパーフォーマンス作家・バーバラ・ヴィルヘルミさん,スペインか
ら画家・ヴォルフガング・ベルス氏と画家・紀平晃子さんを招待して
,皆で平和の芸術展を
展開させた。

バイエルン3TV、地元フランケン・テレビ局,ラジオなどのニュースで報道。
この年末には、その記念に参加芸術家紹介と,これまで10年間のフュルトでの広島・長崎慰霊
祭の歩みを日本語と独語でまとめた小ドキュメント誌「平和の芸術」を制作し
,加藤邦彦・温子
が編集を自ら担当した。

1997
フュルト副市長ギュンター・ブラント氏とバイエルン州議会議員Dr.トーマス・ユング氏
の御挨拶

マグダレーナ・グメーリングと加藤温子によるドイツ語と日本語での「平和の詩」の朗読
復活教会マルティナ・ガラス女性牧師の平和への祈り
「平和の芸術」小雑誌の紹介
この年の広島慰霊祭日午前中には、ニュルンベルグの聖ロレンツ教会でも、市民達の前で
「平和の詩」の朗読を行った。

1998
フュルト新市長ヴィルヘルム・ヴェニング氏の御挨拶
「鈴木バイオリン教室」の生徒で7歳のヨハンナ・ライヘルトが原爆被災者への慰霊演奏をした。
先年に平和をテーマとする加藤温子・邦彦の美術特別授業をおこなったラウフ市立クリストフ
・ヤコブ・トロイ・ギムナジウム
(中・高校)の生徒らが,フュルトヘ参加し8.6広島平和をテー
マとした芸術展を行った。

1999
フュルト副市長ギュンター・ブラント氏の御挨拶
フュルト音楽学校による「千羽鶴」の曲の演奏
市会議員アネッテ・ライヒシュタインさんが平和の詩を朗読
愛知県,名古屋造形大学教授・坪井勝人氏の木彫作品「平和の種」の展覧会
彼はこの作品をフュルト市へ寄贈し,現在はブルグファルンバッハ城の市立博物館に収蔵され
ている。

広島・長崎原爆慰霊祭会場の緑地に加藤温子・邦彦による「千羽鶴の曲・音譜インスタレーシ
ョン」を
86日から長崎原爆日89日迄行った。

2000
戦後55年目の世紀の替わる年。フュルト市長の御挨拶
「広島・長崎・原爆写真展」を、フュルト市の中心にあるシティ・センターで会場側の協力を得
て実現。

会場では,在独日本人等の協力も得て、写真展特別案内や折り鶴ワークショップも行った。会
場の展示や後片付けや当番を加藤邦彦・温子や有志の人々で行った。

上記写真展とともに,世紀の更わり目にあたり,世界平和を願う思いを込めて、日本(半田正子
・敬史郎
,加藤温子・邦彦),ルーマニア(ニコラエ・ロシュ),ドイツ(マラ・ロトヘド・ハルデグ
、シュテファン・シェラー、デューラー・ギムナジウム生徒等
),アメリカ(クリスティナ・
ラルソンとDr
.ロバート・ラルソン教授)の芸術家達と一緒に各国の頭文字を集めたタイト
ルJAROGERA展として
,平和の芸術をさらに展開させた。展示や当番は参加芸術家全
員で行った。

アメリカから参加したラルソン教授夫妻にはブルグファルンバッハ城の市立博物館で特別
講演会も行ってもらった。

このプロジェクトはさらに,ニュルンベルグのデューラー・ギムナジウムで学校生徒達との
合同展として行い、シュトラウビングへも巡回させた。そして生徒達と平和へのコミュニケ
ートを行った。

2001
ヴィルヘルム・ヴェニング市長の御挨拶
アニタ・ライムの歌「ヒロシマの子供達」
広島原爆被爆・森下弘氏の書いた詩を,日本語とドイツ語で加藤温子が朗読
ヴァイセンブルグ市立ギムナジウム生徒代表と教師ペトラ・ケーニクさんが学校生徒達の
作った千羽鶴をフュルト市へ贈呈した。

その後この千羽鶴はフュルト市庁舎入り口天井に飾られた。

2002
新市長Dr.トーマス・ユング氏の御挨拶
フュルト音楽学校教師たちにより,広島・長崎原爆慰霊祭への演奏

2003
この年から、初めてミュンヘンの日本総領事館からも参加していただくことができるよう
になり
,寺岡総領事がフュルトの8.6広島平和祈念式典(広島・長崎原爆慰霊祭)に出席され
御挨拶。

フュルト市副市長ハルトムート・トレーガー氏の御挨拶

加藤邦彦・温子のフュルト市在住20周年記念の年。

日本のギンナンで発芽させた実生イチョウ20本の鉢植えを8.6広島平和祈念として,会場に
折り鶴と一緒にインスタレーションして、この若いイチョウを全部フュルト市へ寄贈。将
来これを市内各地の緑化に植えてもらう計画で
,市民から20名のイチョウ・育ての親を募る。

復活教会のDr.シュテファン・コッホ牧師の世界平和へ向けての言葉。
加藤邦彦・温子が来独当初に知り合った長年の友人でニュルンベルグのユダヤ系チェコ人
で詩人のワルター・ツァホルカ氏が自作した平和の詩を朗読。

2004
在ミュンヘン日本総領事館から、清水陽一総領事が出席され御挨拶。
フュルト市副市長ハルトムート・トレーガー氏の御挨拶。
日独コーラス「ニッポン」が磯田綾子さんの指揮で「千羽鶴」を歌い,コーラス・メンバーで
作った千羽鶴をフュルト市へ寄贈した。この千羽鶴はその後市長室に飾られてある。

式典会場の緑地へ、日・独の新聞紙で折った折鶴に各国の言葉で「平和」の文字を書いて,
加藤邦彦・温子は平和祈念碑の周りにインスタレーションを行った。

2005
在ミュンヘン日本総領事館から,丸山茂治総領事が参加されて御挨拶。
フュルト市長トーマス・ユング氏の御挨拶。
愛知県から書道芸術家・大津定信氏を招き,平和の書・パーフォーマンスを,日独コーラス・
ニッポンの歌に合わせてして頂いた。このとき
,日本からもたくさんの学校生徒や青少年
等が参加してくれた。

2000年に参加したルーマニアの彫刻家ニコラエ・ロシュの協力により,ルーマニアと
シュトラウビングの高校生達が平和の作品を会場に展示した。

8月6日の慰霊祭日に合わせて、大津定信氏の個展を新設のフュルト市立画廊でも実現
して、会場では丸山茂治総領事夫妻にも御挨拶をして頂いた。

大津定信氏は展示作品をフュルト氏へ寄贈され,彼の作品はフュルト市立博物館に収蔵さ
れている。

2006年
在ミュンヘン日本総領事館から,丸山茂治総領事が参加され御挨拶。
フュルト市長Dr.トーマス・ユング氏の御挨拶
当時デュッセルドルフ在住だった日本人芸術家・永沼直孝・すみ子夫妻の協力で紹介され
た壁画作家・松井エイコさんが東京からはるばる来独、フュルトで広島・長崎慰霊祭へ「平
和の紙芝居」を実演。長崎の被爆者の話から制作した「二度と」の紙芝居を、ニュルンベル
グの平和博物館でも行った。

日本語・独語二カ国語で行った松井さんの紙芝居はフュルト市へ寄贈された。
この年の8.6広島平和祈念式典へは,ちょうどニュルンベルグ美術大学と広島市立美
術大学の交流シンポジウムに参加中の学生等も参加し
,広島・ニュルンベルグの芸術文化
交流プロジェクトについても紹介を行った。

それはフュルト・広島・ニュルンベルグの良い交流の場になった。

2007年
フュルト市千年祭の年。
在ミュンヘン日本総領事館から、丸山茂治総領事が参加され御挨拶。
フュルト市長Dr.トーマス・ユング氏の御挨拶。
加藤邦彦・温子は前年末から「千年祭のフュルトへ千通の平和メッセージを」のキャンペ
ーンで世界中の友人知人等からメッセージを集め
,25ヶ国から集った1600通以上
もの平和メッセージを8
.6広島平和祈念式典会場に大きな「輪(和)」の形にインスタ
レーションし
,この中の舞台で、バイエルン州立劇場のプリマドンナ・新井美紀子さん
に「平和の舞」をモーツァルトのアヴェ・ヴェヌムの曲に合わせてバレーで踊っていただ
いた。地元テレビ局の取材と放映も在った。

プロテスタントとカトリックの両方の教区長がそれぞれ平和への祈りを行った。
世界中の様々な世代や職業の人々からフュルトへ届いた全ての平和メッセージは市立
博物館に寄贈され収蔵されている。

2008年
在ミュンヘン日本総領事館から,小菅淳一総領事が参加御挨拶。
フュルト市新副市長マルクス・ブラウン氏の御挨拶
フュルト音楽学校の間奏曲
プロテスタント教区長ヘヒシュテッター氏の平和への祈り
広島出身で11年前に亡くなられた片岡脩教授の遺作「平和ポスター展」を8.6広島
原爆慰霊日から8
.9長崎原爆慰霊日まで,復活教会で行った。(60点寄贈していた
だいた中の12点)加藤邦彦・温子が有志らと一緒に額装と展示に協力。

片岡脩氏は加藤邦彦・温子の母校である愛知県立芸術大学のデザイン学部教授であっ
たが
,被爆の後遺症と戦いながらも100点の広島平和ポスター制作を進めておられた。
74作目を最期に、あまりにも早い生涯を閉じられた。

平和ポスター作品解説にはドイツ語翻訳に,ミヒャエル&桂子ツァイリンガー夫妻の協
力を頂いた。

(片岡恒子未亡人より、片岡脩教授の平和ポスター60点がフュルト市へ寄贈され、
今後いろいろな機関での平和ポスター展が巡回展として行われる予定です。ニュルン
ベルグの平和博物館や
,フランスのリモージュ市からも展覧会への話が入りました。

2009年
在ミュンヘン日本総領事館小菅淳一総領事参加と御挨拶。
フュルト市長御挨拶。
フュルト市へ委ねられた片岡脩・平和ポスター全部を8.6広島原爆慰霊祭に展示して、
フュルト市シュパルカッセ本部の会場決定。

今年もベルリンから外林秀人教授夫妻をお招きし、フュルト市でも「広島と平和」の講演会を実現する。

2010年

広島・長崎・原爆慰霊祭のプログラム 

フュルト市長トーマス・ユング氏の挨拶

在ミュンヘン日本国総領事館副領事・鈴木康照氏の挨拶

フュルト市小学校4年生と在留日本女性等による折り鶴のインスタレーション

Grundschule Rosenstrasse 17, 4. Klasse, Leitung von Frau Helen Belmore

2011
8517時に例年より1日と1時間早めの慰霊祭がフュルト市公園の広島平和記念碑前でおこ
なわれました。これは夕方の雷雨で急きょすぐ脇の復活教会内で行うことになりました。

フュルト市長ユング氏、ミュンヘンから日本国総領事水谷氏、がそれぞれ挨拶された後で、
はるばるバーデン・ヴュルテンベルグ州から参加したグリム兄弟中学校生徒等が東北震災福島
原発事故の被災地救援チャリティ千羽鶴プロジェクトで集めた募金を被災地の子供たちへ送っ
てもらうため1196,21ユーロを日本総領事へ直接渡しました。

3.11東北日本震災原発事故は、核エネルギーの在り方を根本的に問う出来事で、ドイツ各
地ではいくつものチャリティが行われ、東北日本支援が続いております。



2012
8618時からフュルト市立公園・広島平和祈念碑前で、広島長崎原爆慰霊祭が行われます。

フュルト市長ユング氏は、広島長崎の原爆慰霊祭で原爆の無い平和な未来を願うと共に、福島
原発事故以降の教訓としてエネルギー政策を顧みることを人々へ呼び掛けます。


2013年
フュルトから核兵器廃絶へアピール

2014年
8月6日18時に、フュルト市では今年も広島長崎慰霊式が行われ、広島長崎と世界平和連帯を結んだ記念碑
(1986年加藤邦彦作)の前に、多くの人々が遠方からも慰霊式へ集まりました。

広島長崎の原爆投下から69年目、第一次大戦勃発から100年、今年はウクライナやパレスチナのガザ地区で
多くの人命が失われ、残酷な戦争が絶えなく不穏な状況が深刻化しています。
人々の平和への願いはさらに
大きくなり、フュルトの広島平和祈念碑へ集まった人たちが年々増えて来ました。

広島長崎の死者へ慰霊と黙禱を行い、フュルト市のユング市長はじめ、ミュンヘンの日本領事館から任務を
終えて日本へ帰省される間際の小林浩子副領事、そしてフュルトのカトリック教区長アンドレ・ハーマニーが
、戦争を訴え平和を願いました。



2015年

6. – 9. August 2015 Kunst zum 70. Jahr nach A-Bomben auf Hiroshima und Nagasaki
Beteiligung zur Gedenkveranstaltung am 6. August 2015 um 18 Uhr am Hiroshima-Mahnmal
und in Evang. Auferstehungskirche
Osamu KATAOKA, Katsuhito TSUBOI, Masahiro EMURA, Kunihiko und Atsuko KATO
8月6 ~9日、フュルト市の70年・広島・長崎・原爆慰霊祭・展覧会、8月6日18時,市長開会
片岡脩、坪井勝人、恵村正太、加藤邦彦、加藤温子、フュルト市公園と復活教会にて



2016年
20168518時からフュルト市立公園内・復活教会東緑地・広島平和祈念碑前にて
フュルト市長挨拶、Dr.トーマス・ユング

在ミュンヘン日本総領事館・輿謝野暁・副領事挨拶
カトリック教区長アンドレ・ヘルマニー、平和の祈り


2017年
8月6日の日曜日午前11時に、フュルト市公園の復活教会東緑地に在る広島平和祈念碑前で、
今年もトーマス・ユング市長、柳秀直日本総領事、市民等や平和を願う人々が各地から集まり、
広島長崎原爆慰霊が行われました。

邦彦が制作した広島平和祈念碑前にて毎年1986年来フュルト市で行われる原爆慰霊に
参加するのは、私たちにとっていよいよこれが最後になりました。