フェルト市広島平和祈念式典2015

ニュルンベルグ フュルト新聞
政治欄  8月10日

オバマはイランの核交渉と闘う アメリカのオバマ大統領の演説はケネディの伝統を見せる。

(中央下の黄色の欄を参照)

広島原爆は今なお人を殺している。

広島と長崎の原爆から70年後の今なお、被爆生存者は放射能による後遺症で長年ずっと治療を受け続けて
いる。日本赤十字病院だけでも千人もの患者が治療を受け、3人に2人は癌で亡くなっている。国際赤十字
コミッテー(IKRK)では 広島原爆から70年の本日これを発表した。

それは、すべての核兵器を廃絶させるべき説得力ある論証である。特に核武装している国ぐにの兵器庫には
大多数の原爆が貯蔵されており、現在この破壊力は膨大である、とIKRKのペーター・マウラー会長は述べた。

モナーツグリュース
プロテスタント教会の
2か月報
2015年8~9月

芸術と教会は原爆を反撃  広島・長崎原爆被災者慰霊にて,平和のアピール

写真撮影 ベルニー・マイヤー(坪井勝人氏の彫刻の前で、復活教会脇の緑地へ集合した人々に挨拶する日本副領事・
興謝野暁氏)

記者・フォルカー・ディットマー

フュルト

威嚇的な核兵器に対して爆発的な想像力と宗教的決断力で、昨晩ほぼ200名の人々が市立公園の広島平和祈念碑前に
展示された日本人彫刻家の作品に集まり、70年前初めての原爆投下と核兵器製造に確固たる撤廃を訴えた。

フュルト在住の芸術家・加藤邦彦・温子夫妻は今回で最後の平和芸術参加として、2名の日本人彫刻家を招きこの
慰霊祭に彼等の作品を前面に展示しました。

恵村正太氏と坪井勝人氏がフュルトで制作した作品は、この後来週月曜まで復活教会内へ展示され、ご覧いただけます。
その後は永久的に、フィヒテン通りとテレジエン通りの国立職業学校・第一校舎と第二校舎へそれぞれ収蔵展示されます。

坪井氏はすでに1999年の原爆慰霊式でも、フュルト市へ彼の作品を寄贈しています。

30年前にフュルト市はバイエルン州の反対を押し切って、広島長崎が提唱する非核世界平和連帯都市に加盟しました。
トーマス・ユング市長にとって,この意思表明は地方において今日なお大切であると語りました。国際的には被害者の
同意があってこそ平和が成立し得ます。

イランとの核問題同意はユング氏のみならず、ミュンヘンから参加した日本副領事興謝野暁氏も同様に希望的な見解を
表しました。彼は、放射能被曝の長い後遺症を顧み、核兵器反対に日本は努力せねばならないと力説しました。ここでは
しかし、核の平和利用における福島原発事故の危険性には触れませんでした。

ユルグ・ジッヘルシュティール教区長も日本副領事にこの問題に関して困惑させるのを避けました。彼はとりわけ宗教上の
働きで世界平和の確立に関して語り、ドイツ国土に今なお置かれている原子爆弾をすべて撤巨させる事を要求しました。
「私達はまだドイツの国に在る宿題を終えてはいません」と語りました。

この場所に展示された彫刻のほかに、加藤温子氏の絵画および加藤邦彦氏の彫刻と、フュルト市の原爆慰霊式に他に
比較できないほどの表現力をかもし出している片岡脩氏のシルクスクリーンの平和ポスターが展示されています。ここに
展示にされている作品は、すべて原爆投下をテーマとしています。

1997年に亡くなった片岡脩氏は、13歳に広島原爆を奇跡的に生き延びました。彼は亡くなる前に100点の
平和ポスターを制作しようとしたが、残念ながら74点目の作品でこの世を去りました。2008年に片岡恒子未亡人が、
彼の60点の作品をフュルト市へ寄贈されました。

 彼の努力と原爆慰霊祭におけるその他の作家の作品参加は、来たる日曜日9時半に復活教会で行われるミサの
中心となることでしょう。

フュルト新聞市内と近郊版
7月23日

2015年広島長崎原爆70年関連記事

HIROSHIMA-GEDENKEN in Fürth nach 70 Jahre II. Weltkrieg
Zum 30. Jahr der Bündnisstadt Fürth mit Hiroshima-Nagasaki

Gedenkstunde am 6. 8. 2015 um 18 Uhr im Stadtpark Fürth, am Hiroshima-Mahnmal
(beim Regenwetter in der Auferstehungskirche)

Oberbürgermeister Dr. Thomas Jung

Japanischer Vizekonsul Akira Yosano aus München

Evang. Dekanat Jörg Sichelstiel

Künstlerische Beiträge (Aussen am Mahmal und in der Auferstehungskirche);

Masahiro EMURA (*1955 Mie ) Skulptur „Gedächtnis für erneuerbare Natur“

Katsuhito TSUBOI (*1947 Aichi) Skulptur „Mit 7 Wind“

Prof. Siu KATAOKA (*1932 Hiroshima –1997) Siebdruck „Friedens- Plakaten“

Atsuko KATO (*1950) Malerei „Zwischen Hiroshimatag und Nagasakitag“

Kunihiko KATO (*1945) Skulptur „Lebewesen“

(Vorstellung der Künstlern und ihre Werken durch Atsuko Kato)

Diese Kunstbeiträge werden vom 6.8. Hiroshimatag bis zum 9.8. Nagasakitag in der
Auferstehungskirche am Stadtpark und am Eingang zu sehen.

„Gottesdienst und Kunst“zum Ende dieser Ausstellung am Nagasakitag, den 9. 8. 2015
um 9:30 Uhr in der Auferstehungskirche mit Pfarrer Dr. Hofmann.

戦後70年と平和連帯都市30年の広島・長崎原爆慰霊と平和祈念へ、フュルト市長の御案内

日時・場所 20158618時から、フュルト市立公園内復活教会脇の広島平和記念碑前

      (雨天の場合は復活教会内にて)

フュルト市長・Dr.トーマス・ユングの御挨拶

在ミュンヘン日本領事館から与謝野暁副領事の御挨拶

プロテスタント教区長・ユルグ・ジッヘルシュティールの言葉

平和への芸術参加

恵村正太 1955年三重県出身、彫刻「記憶・再生」

坪井勝人 1947年愛知県出身、彫刻「7つの風に吹かれて」

片岡脩 1932年広島出身1997年逝去、シルクスクリーン「平和ポスター」遺作

加藤温子 1950年愛知県出身、絵画「広島と長崎の間に」

加藤邦彦 1945年愛知県出身、彫刻「生き物」

これらの作品は、広島日・86日から長崎日・89日迄、会場と復活教会で展示されます。

最終日・89日午前30分に教会でDr.ホフマン牧師に寄るミサと作品紹介があります。

皆様、ご自由に来場ください。

ニュルンベルグ フュルト新聞
政治欄  8月17日

日本の後悔を隣国は信じようとしていない

東京での降伏から70年後、明仁天皇は悔恨の情を示したが、安倍総理はまだである。

写真 AP ドイツ通信

ラルス・ニコライセン記者

明仁天皇と美智子皇后は頭を下げて初めて悔恨の気持ちを述べました。

しかしながら今回もまた古い日本国軍服を着た日本人が、問題になっている靖国神社の前でパレードを
行っていました。

東京

記事本文へ続く

ニュルンベルグ フュルト新聞
政治欄  8月11日

福島から何も学ばなかったのだろうか?  反対波の抗議

日本は原子力へ戻り、原発を再稼働

写真 AP 原発推進派ロビーの友・安部信三内閣

ラルス・ニコライセン記者

福島、それはいったい何だったのだろうか?

4年前の原発事故の悲惨さにもかかわらず、今再び原発を再稼働させるとは。

ビジネスはどこにも存在する、などとは言えないはずだが。

鹿児島

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長崎原爆を生き延びた人々が慰霊祭を行った
写真 ドイツ通信

長崎の朝の沈黙のミサ

平和主義へのアピールを持って、被爆生存者が70年前に原爆投下された日本の被爆地の犠牲者への
慰霊祭をおこないました。1945年8月9日11時2分にアメリカの原爆ファットマンが投下され、長崎上空で
爆破しました。約6700人がこの慰霊祭へ出席し、黙とうしました。

長崎だけでも、当時一瞬にして70000名の人命が失われ、さらに75000人が負傷しました。

ニュルンベルグ フュルト新聞

政治欄  8月6日

ニュルンベルグ フュルト新聞
政治欄 8月4日

アメリカの若者は原爆に反対 広島原爆投下から70年の今若者達は兵器に批判的

写真 ドイツ通信 

日本へ原爆投下したエノラ・ゲイの飛行機に乗った飛行士達の名前がこの機体に刻まれている。

フリーデマン・ディーデリッヒス記者

原爆は、100000人以上の人々の生命を苦しみの死へ送った。被爆者は後世の今日までもその影響を受け
続けている。アメリカはやっと少しづつ、この原爆投下が間違っていたことを認識し始めた。

ニュルンベルグ フュルト新聞
政治欄 8月7日

広島の死者へ沈黙の慰霊 原爆投下日,日本の総理大臣は核兵器廃絶を唱える。

写真は慰霊に集まった何千もの人々の中で、幼い少女も広島平和公園で原爆被災者へ手を合わせ
拝んでいた。8時15分、70年前のこの時間この場所へ原爆が落とされた。その場所で黙とうが行われた。

広島・すべての核兵器廃絶をアピールし、70年前の広島原爆日に被爆した人々の慰霊のために
約55000人の人々が日本の広島で黙とうした。

記事本文へ続く

ニュルンベルグ フュルト新聞
8月3日、第3面

原爆投下時すでに日本は根本的に降伏状態であった。

70年前の広島・長崎の原爆は投下する必要が無かった実証がますます多く明るみに。

写真はドイツ通信アーカイブから、1945年8月9日に長崎へ投下された2つめの原爆によるキノコ雲

アレキサンダー・ユングクンツ記者

70年前にアメリカはこれまで世界史に無かったふたつの爆弾を投下した。1945年8月6日に広島は
広範囲に廃墟となり、8月9日には長崎へも投下された。しかしこの荒廃的な破壊が本当に日本を降参
させるのに必要であったのだろうか?歴史学者は、これまでの世の中の提唱に疑問を感じている。
又それゆえの、爆弾投下の必要性があったかに関しても。

ニュルンベルグ

記事本文へ続く

フュルト新聞 市内と近郊版
      8月7日

お知らせ  平和の芸術

広島・長崎原爆70年に、加藤邦彦・温子夫妻、坪井勝人氏、恵村正太氏、故・片岡脩氏の作品を、フュルト市公園の
平和祈念碑前と復活教会にて展覧します。オープニングは8月6日18時に平和祈念碑前で行います。

8月9日9時半のミサで、展示作品紹介を行います。

芸術による訴え 70年前の原爆投下を迎えるにあたりフュルトにて

70年前に広島・長崎へ初めて原爆が投下された日を想い、フュルト市は8月6日19時にフュルト市立公園で行う慰霊式へ
皆様をお招きします。集合場所は復活教会脇の広島平和祈念碑前です。

フュルト在住芸術家夫妻・加藤邦彦・温子の紹介で、2人の日本人彫刻家・恵村正太氏と坪井勝人氏が、クローバーの
街(フュルト市)へ滞在し制作した彫刻作品の贈呈式も行います。これらの作品は、慰霊式の後8月9日迄復活教会で
展示されます。
なお展覧会最終日の9時半には、彼らの作品紹介が教会のミサで行われます。

ヒロシマから70年 原爆被災者を慰霊

フュルト市立公園の平和祈念碑は1945年の広島・長崎被爆者を想う

写真撮影 ヨハネス・フォルスター
(写真の記念碑は、1945年広島長崎の原爆慰霊碑として、フュルト市立公園に設置された)

市長室広報

フュルト市は8月6日18時に広島長崎原爆被災者及び2011年春の福島原発事故被災の慰霊を行います。ここへ市民の
皆様を心よりご招待します。第二次大戦後驚愕的出来事から70年にあたり、2人の日本人彫刻家恵村正太氏と坪井勝人
氏は、フュルト在住の文化賞受賞芸術家・加藤邦彦・温子夫妻に共感し、それぞれ現地滞在して制作した彫刻をフュルト市
へ贈呈します。彼らの作品は、8月9日迄、復活教会で、グラフィックデザイン教授の故・片岡脩氏の平和のポスターと共に
展示されます。8月9日9時半に、ハンス・ウルリッヒ・ホフマン牧師が平和芸術をテーマにミサを行います。

慰霊式は、復活教会脇のフュルト市公園緑地(ニュルンベルグ通り15番地)で、集合場所は、加藤邦彦作の広島平和
祈念碑前です。この記念碑はフュルト市が広島長崎と非核連帯都市同盟を結んだ祈念として、暴力の無い平和な共存と
核の政治的な在り方を考え直す為(1986年)に、作られました。

フュルト市広報 7月22日